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GvG

たまに、GVなんて数ゲー萎えという人がいるがこれは大きな間違いだと思う。

まず結論から言うと、GvとPvは根本的に違うという事。
何故ならば、GvGには戦って砦を競い取る事で得られるものがあるからだ。
砦を取る事がギルド全体に貢献する事になり、各個人の理念を2の次にしてまず第一に砦を奪取する事がGvGの目的。
砦を取る事に数の暴力で挑むもよし、質の高いメンバーを揃えるのもよし、乱戦に乗じて少数精鋭で挑むもよし、とにかく砦さえ取れればそいつが勝者なのである。そして取った事により得られる恩恵は個人のものではなくギルドとしてのものである。
そこに個人の理念として数ゲー萎え等という言葉を発するのはちょっと可笑しいと思う。

反対にPvPという場所での戦いで得られるものは物理的には何も無く、ならば得られるものは個人の自己満足に過ぎない。
だが自己満足を満たす為にも、互いに平等な戦いを求めるのがPvPという場であって、物のたとえで言うならば"殺し合いの場"ではなく、"試合の場"という言葉が適切だと思う。
勿論、虐殺を繰り返す事が自己満足になれるならそれもPvPである。
戦いの理念にとやかく言う筋合いは俺には無いが少なくとも俺はそんな殺し、殺されたり、妬み、妬まれたり、煽り、煽られたりするPvPこそ屑ゲーだと思う。そんな事ばかりやってる連中の気がしれないし、そのPvから得られるものが何も無いと思う。殺し、殺し合いだけに人の人格を狂わせていくだけだと思う。だからこそ、PvPは試合形式という形で統一され、逆にそれが楽しいと誰もが思える戦いになれるようにするのが大事だと思う。

じゃあGvGはどうなのかというと、前述したようにGvGには戦う理念は要らない。勝利する事に対する得られるものの対価がでかく、人は欲望を完全に捨て去る事ができない人種なので誰も砦を取るために手段を阻む事はないと思う。
GvGは戦争という言葉が非常によく似合う。
殺し、殺されの場だがそれはギルドとして戦争に勝つためには仕方が無いと思う。犠牲を払う、または自分が敵を殺す事が結果的に砦を奪取し、様々な恩恵をギルドに与える結果になれるのであれば、戦争に平等も糞も無い。勝つ事で誰もが認める目的がある限り、人間の欲があるかぎりはGvGに手段を阻むような言動は否定的と言える。

つまり、数ゲーが嫌とか言う奴は個人的な理念の下なので根本的にGvGしなくていいと思う。
数ゲー相手にどこまで戦えるか、GvGをするにあたって数を増やすのか質を高めるのかは各ギルドの方針に沿えばいい。平等な戦いを求める事が不可能な以上は、どうしても砦がほしいという欲望がある以上はなんとしてでも勝てる戦術・構成で挑むというのが戦争に勝つ、殺し合いに生き残る為には当然だと思う。


どうみてもコピペです。本当に(ry
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